2013年06月18日

“分厚い保守”の一翼を

過日大平正芳元総理の命日にあたり、我が宏池会の古賀誠名誉会長、同期議員8人とともに、学生時代暮らした府中市にある多磨霊園の墓所を訪ねました。
古賀名誉会長が来られることもあり、多くのテレビ、新聞などが取材に来ておりました。その中の、朝日新聞の記事に「しぼむハト派」とありました。

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私はあまりタカ派、ハト派などというカテゴリー分けは好きではありません。とはいえ、宏池会が目指してきた保守中道の声が自民党の中で聞こえにくくなっているのは事実であり、それに対して私も忸怩たる思いがあるのは事実です。

「保守」というのは極めて漠とした概念です。保守の対義語は「革新」です。しかし事実上革新勢力が保守の対立軸でありえた時代は55年体制の終焉とともに終わったといえます。
選挙でも以前は「保守系無所属」などという言い方をしておりましたが、現在はそのような言い方はほとんどしなくなりました。つまりごく一部を除き「一億国民総保守派」に近い状況です。

つまり保守とはそれほど大きな概念であります。私は保守の要件とは下記のみだと思っています。
・日本人であることを自認し、日本国が好きである。
・天皇制を肯定し、天皇陛下及び皇族の皆様に一定の敬意を持つ。
・国旗、国歌に対し疑問を持つことなく受け入れ、式典で当たり前に起立し「君が代」を歌う。
・墓参や冠婚葬祭、初詣やお盆など日本古来の習俗を肯定している。
・我が国が憲法を主体とする法治国家であることを受け入れ、共産革命や暴力、テロ行為を肯定しない。

その程度だと思います。日本人でこれに当てはまらないとすれば、極左団体やオウム真理教のような極めて原理主義的なカルト、あとは日の丸・君が代訴訟を起こすような一部の市民団体くらいのもので、濃淡はあるにせよ大部分の国民は包含されるのではないでしょうか。

一方保守はナショナリズムとイコールではありません。ナショナリズムとは国家主義であり、自らの希求する日本、日本人のあり方目指す、その過程で意見の合わないものは攻撃し、排除していくというものです。

自民党は保守政党である以上は、自分とは主義主張が合わなくても先の5つの思いを共有し、かつ憲法を尊重し、議会制民主主義の基本である選挙に公平に臨む政治家であり、自民党の綱領や理念を共有する人は存在を否定されることはない政党です。

いやむしろ自民党はそのような様々な立場の方がいることが、保守の厚みでありそれが自民党”らしさ”であると思います。
現在自民党は公明党と連立政権を組んでおります。公明党は「庶民に支えられた中道政党」を標榜しています。
私は自民党内の様々な意見に対し、公明党の山口那津男代表などが意見を述べられることがあります。それは、おおむね過激な意見に対し、穏健な立場で述べられることが多く、聞いていて率直に”ホッ”とすることがあります。

右であれ左であれ濃い意見は自己増殖し、より過激になりがちです。ツイッターでも真偽も怪しいような激しい意見が、リツイートを繰り返し無限ループのようになっているものが散見されますが、最近の”嫌韓デモ”のような、今までなかったことが起こることには懸念を持っています。

もちろんそのようなことはないと思いますが、仮に自民党内でそのような意見跋扈し、他の意見が排除されるようなことになれば、それは保守政党ではなく、ナショナリズム政党ということになってしまいます。
そうならないのが自民党の歴史の知恵であり、先人の経験です。それに乏しい上に知恵が働かず、バランス感覚を持てないまま瓦解したのが民主党政権であったと思います。

私は党内で「ハト派」を自認して政治活動をしようとは思いません。それは不毛な対立を煽るだけであり、却って自分の立場を規定し幅をなくしてしまうと思うからです。
しかし述べてきたように、保守政党として自民党が存立することは、幅広さが必要なのです。その"分厚い保守"を形づくる一翼を担う立場には、私は身を置きたいと思っております。

その思いを心の中に抱きながら、一歩ずつ永田町の歩みを進めて参ります。今後ともご指導よろしくお願い致します。
posted by たけい俊輔 at 11:26 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする