それぞれ1,000人を超える参列者があり、会館の駐車場だけでは到底足らず近隣のJAの駐車場も臨時駐車場になるほど、多くの皆さんが訪れていました。
最後まで操縦桿を離さず機体をギリギリまで守ろうとしたこと、様々な写真や自衛官の皆さんのお話から、彼の責任感の強さと人間性を改めて感じさせられました。
お通夜の日、もう深夜の11時近くでしたが親族と同級生とのみになった時間、祭壇のある隣の部屋で過日彼が所属していた青森県の海上自衛隊大湊基地で行われた部隊葬の模様がDVDで流されていました。
その整然とした葬送の模様、殉職したヘリと同型の機体の映像などを、立って繰り返し見ていたのですが、突然後ろから足にコツンと衝撃がありました。
彼の息子の雅咲君5歳です。「これ、父ちゃんのヘリだよ。」雅咲君はいいます。私は「そうだね」という以上の言葉が出てきません。
モニターが高いところにあって見にくそうにしていましたので、肩車をして一緒に見ました。すると足をバタバタと動かして、ヘリ発信します!と声を上げます。
でもねお父さんは星になったから、ヘリよりもずっと高い所から見てくれているんだよ。僕も自衛隊でヘリに乗るんだよ、と気丈に言います。
私は涙がとまらなくて、雅咲君の足を抑えているのがやっとでした。泣いているのを見られたくなかったので、肩車を下すことができません。
祖父である宮永征昭市議が「武井さんも疲れちょるからこっち来んか」と言われると、雅咲君は降りると言いますので、下したらおじいちゃんのもとに走っていきました。最後まで顔を見られなかったのは助かりました。
翌日の出棺、最後のお花を入れるところまでご一緒しましたが、雅咲君は「僕、頑張るからね」と棺に語りかけていました。
私はこの瞬間、ああやっぱり雅咲君はすべてわかっていたのだな、と痛感しました。5歳の小さな体で、すべてを受け止めて気丈に振る舞う。命を懸けて期待を守った宮永雅彦の息子なんだ、と改めて感じました。
宮永雅彦親子に恥じない生き方を、そして雅咲君が今後、父の志を叶えるべく頑張ってくれることを、心から応援したいと思います。
東日本大震災で多くの行政職員や消防関係者の方が自らの使命を全うし、殉職されました。その気高さには多くの国民の皆さんが感動されたと思います。
今回、こんな身近で、同級生がこのように使命を全うし殉職したこと、政治に携わる者として、その崇高な思いにどう応えていくか、生涯にわたる重い問いを受けました。
出棺の後、高岡町のホールは冷たい雨になりました。雨に打たれながら、その問いにどう応えていくか、それを胸に抱きながら、共に歩んでいきたいと思います。