2017年07月18日

7月18日

パロメケ外務次官との会談。同じ国連常任理事国としての役割を担う国として、今後の両国の連携についてなど意見交換。
その後、大空に抱かれた4000mを超える都市ラパスを出発。酸素ボンベのお世話にならなくとも血中濃度も普段通りになったところで出発。やっと慣れたところで去るのは残念な気がします。
古賀大使をはじめ皆さんには大変お世話になりました。これから一路ペルーのリマに向かいます。

トランジットでペルーのリマまで。マチュピチュやクスコへの観光客も多く、やはり圧倒的な人気なのだと実感。約5時間ありましたので、総務省出身の株丹大使にご案内頂き、旧市内や市場に。大統領選挙後の政治経済情勢、日系人の状況などについてブリーフィングを受けます。
話に聞いていたインカコーラも。これからメキシコへ。あと日本まで26時間。

2度目のANAのメキシコ→成田便で帰国です。トランジットが夜中になりましたので、街には出ませんでしたので、メキシコ人が大好きなコカコーラを空港で。「"メキシコーラ"はコーラの中でも世界一うまい」「風邪を引いたらコーラを飲めば治る。」こんなことをいう人も。
中南米担当になり、様々な場所を訪ねましたが、人柄も明るいメヒコ(スペイン語でメキシコのこと)が大好きになりました。次来るときがいつになるかは分かりませんが、今度こそ支倉常長が降り立ったアカプルコに行きたいものです。
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2017年07月17日

7月17日

ボリビアのサンタクルスに着きました。いきなりロストバゲッジ(荷物が届かない)が発生。マイアミにあることが発覚しましたので、リカバリーの手続きをして空港を出発。南米らしい雄大な朝焼けに迎えられました。
これから約2時間半車で走り、一路日本人移住地へ。移民の皆さんとの意見交換から日程スタートです。

沖縄の皆さんが開拓された「オキナワ入植地」へ。これから意見交換、慰霊碑献花、資料館や病院や学校見学など。

ボリビアの2大日本人入植地であるサンファン、オキナワ両入植地へ。サンファンは主に長崎や熊本から炭鉱の斜陽化に伴い移住された方々が、オキナワはまさにその名の通り、沖縄県の皆さんの移住地です。
それぞれ暖かい歓迎を頂き、意見交換、慰霊碑献花、病院、高齢者福祉施設、学校などの視察を行いました。一部に当時の原生林が残されていましたが、鬱蒼としたジャングルをここまで開拓し、多くの産業を興し、特に鶏卵などは国内シェアのトップを誇る生産がされております。
慰霊碑に刻まれたお名前と享年から、特に入植当初、若くして亡くなった方が多くおられることが分かります。医療体制も貧弱で開拓作業時のケガがもとで亡くなる方も多かったとのこと。
多くの先人の努力が、いまのこのコミュニティを創っていることを実感。また、ブラジル、メキシコ、エクアドルなど南米で移民の皆様とお会いして来ましたが、本当にそれぞれ歩みが違うのだなということも実感。
これから一路、首都のラパスに向かいます。
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2017年07月15日

7月15日

一路成田まで参りました。これからヒューストン、マイアミ経由でボリビアに向かいます。目的地のボリビアのサンタクルスまで26時間半、しかも到着時刻は現地時間で朝5時45分とのこと。
外務省の担当課からは夏物と冬物の2着のスーツをと言われましたが、とりあえずどちらにも対応できそうなものを。暑いか寒いか、だんだん考えなくなって来ました(笑)
では行って参ります。

ヒューストン、ジョージブッシュ空港に。着陸後、にわかに雷雲が。落雷の関係でバゲージの施設が停止し荷物が取れず足止め。様々にリカバリーの方策を考えながら待機中。ま、いろいろあります。

何とか南米へのゲートウェイであるマイアミにたどり着きました。総領事館のご協力で当初の便にギリギリで乗り継げました。
ボリビアの航空会社であるボリビアーナアビエーション(BO)で一路サンタクルスに向かいます。機内は完全にスペイン語モードになって来ました。ここから高山病の薬も飲みはじめです。

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