この山を眺めますと思うところがあります。
私の高祖父(祖父の祖父)である武井友諒(ともあきら)は明治時代この有珠山の麓、現在の洞爺湖町の前身の虻田(あぶた)村の村長の辞令を受けました。
下総国武井村(現在の茨城県結城市武井)の本家には辞令などの書類などはあるのですが、着任しなかったようで、どうも詳細はよく分かりません。(虻田町のウィキペディアにもご丁寧に「着任せず」とあります)
武井家は元々は当地を治めた結城政勝の家臣で、江戸時代は本陣という参勤交代の宿だったのですが、戊辰戦争で武井村は戦闘に巻き込まれほとんどが焼失しました。いわゆる"武士の再就職"であり、その後はご先祖様も苦労したようです。
この虻田村長の仕事も何らかのツテで手に入れたものなのでしょう。
ちなみに私の曽祖父は眼科医で九大に勤務していたとき、治療にきていた曽祖母に出会い、宮崎に来たとのことです。その後は宮崎市内に眼科を開業し、同郷の作家 長塚節の宮崎での結核転地静養の援助などもしていたようです。
いつかまとまった時間ができれば、そんな"ファミリーヒストリー"も訪ねてみたいと思いますが、いまは雄大な有珠山を眺めながら、この友諒は何を思っていたのか、なぜ着任しなかったのか。そして、彼がここで村長として活躍していたら、私はどうなったのだろうか、などと思いを巡らしたいと思います。
成田から約4時間のフライトでグアムに着きました。小雨の降り続く天気ですが、これはこの季節にしては珍しいとのこと。
クーラーの効いた部屋におりますと、今朝がた雪の残る北海道にいたのを遠く感じます。
グアムでの日程がスタート。曇天の下でしたが、まず南太平洋戦没者慰霊記念公苑へ。ここは日米両軍が激しい戦闘を繰り広げた地で、小畑英良中将以下の日本軍司令部が塹壕にこもり最後の戦闘を繰り広げた地です。
ここには太平洋戦域に散華した50万余柱の英霊が祀られております。私の大叔父もサイパン沖で戦死しておりますので、ここにおるのだろうと思うと熱いものを感じます。
両手で祈るような姿の像、そして美しく整備された公園、多くの折り鶴。平和への祈りからの行程スタートです。