2017年03月21日

3月21日

午前中から答弁打ち合わせ、表敬をお受けするなどの公務が続きました。
お昼は党本部での「2020年オリンピックパラリンピック東京大会実施本部」。
全国知事会を代表し河野知事から説明がありました。(知事は全国知事会のスポーツ文化観光の のプロジェクトリーダーなのだそうです)本県の取り組みや要望も多くのご説明頂き、有意義な時間なったと思います。
先生方にも本県の伝わったかと思います。

テロ等準備罪が閣議決定され、いよいよ法務委員会での議論が始まりました。
早速民進党議員から答弁要求があり、委員会に出席し対応致しました。
野党側も論客の委員が質問に立ち、厳しい委員会になろうかと思いますが、金田法務大臣そして法務省の皆さんともどもに臨んで参ります。

今日も多くの皆様の表敬をお受けしたのですが、その中でOIE(国際獣疫事務局)の事務局長がお越しになりました。
私から宮崎の口蹄疫での対応と、わが国が口蹄疫についてワクチン非接種清浄国(口蹄疫ワクチンを打たなくても感染がない状態)を維持していることを踏まえ、ワクチン接種清浄国(ワクチンを接種した状態)の牛肉が流通することについて懸念を申し上げました。
また近隣諸国もともに防疫に取り組まなければ、わが国だけでの対応には限界がある旨も申し上げました。
予定時間をかなりオーバーして様々な視点からお話致しましたが、畜産県出身として、また口蹄疫の悲惨さを知る人間の1人として、私なれば申し上げられることもあろうかと思います。懸念や思いが国際的に共有できるよう、役割を果たして参ります。
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2017年03月20日

3月20日

アンダーセン空軍基地をはじめとする米軍基地を終日廻り、またお昼は司令官をお招きしての昼食会を開催致しました。
自衛隊の合同演習なども大変高い評価もあり、日米同盟の深化を改めて実感します。
昨年は菅官房長官も訪問されましたが、沖縄海兵隊のグアム移転は沖縄の基地負担軽減に係る重要事項です。
一部の工事現場で貴重な蘭が発見され環境影響評価などもあり若干の影響が出ていますが、概ね予定通り進んでおりました。
今後もグアムと沖縄を複眼的に展望しながら、臨んで参ります。

グアムの観光の変遷も大いに興味はあったのですが、今回は観光関係の要素は全くなく、ショッピングモールに立ち寄ったくらいでしたが、日本語も多く、日本人観光客は決して少なくない印象は受けました。
しかし年間120万人超がいまは75万人とかなり減ってはいるとのこと。モール内のフードコートでグアムに来て30年という女性ともお話を伺いましたが、LCCが毎日複数便運行している韓国人が急増しているとのこと。
しかし最も身近な海外の一つです。せっかくグアムにご縁を頂きましたので、今後よく研究してみたいと思います。
1泊2日の短い行程でしたが、浦林総領事をはじめとした皆様に心から感謝申し上げます。
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2017年03月19日

3月19日

朝日に照らされる機内から。眼下に美しい有珠山を眺めることができました。
この山を眺めますと思うところがあります。
私の高祖父(祖父の祖父)である武井友諒(ともあきら)は明治時代この有珠山の麓、現在の洞爺湖町の前身の虻田(あぶた)村の村長の辞令を受けました。
下総国武井村(現在の茨城県結城市武井)の本家には辞令などの書類などはあるのですが、着任しなかったようで、どうも詳細はよく分かりません。(虻田町のウィキペディアにもご丁寧に「着任せず」とあります)
武井家は元々は当地を治めた結城政勝の家臣で、江戸時代は本陣という参勤交代の宿だったのですが、戊辰戦争で武井村は戦闘に巻き込まれほとんどが焼失しました。いわゆる"武士の再就職"であり、その後はご先祖様も苦労したようです。
この虻田村長の仕事も何らかのツテで手に入れたものなのでしょう。
ちなみに私の曽祖父は眼科医で九大に勤務していたとき、治療にきていた曽祖母に出会い、宮崎に来たとのことです。その後は宮崎市内に眼科を開業し、同郷の作家 長塚節の宮崎での結核転地静養の援助などもしていたようです。
いつかまとまった時間ができれば、そんな"ファミリーヒストリー"も訪ねてみたいと思いますが、いまは雄大な有珠山を眺めながら、この友諒は何を思っていたのか、なぜ着任しなかったのか。そして、彼がここで村長として活躍していたら、私はどうなったのだろうか、などと思いを巡らしたいと思います。

成田から約4時間のフライトでグアムに着きました。小雨の降り続く天気ですが、これはこの季節にしては珍しいとのこと。
クーラーの効いた部屋におりますと、今朝がた雪の残る北海道にいたのを遠く感じます。

グアムでの日程がスタート。曇天の下でしたが、まず南太平洋戦没者慰霊記念公苑へ。ここは日米両軍が激しい戦闘を繰り広げた地で、小畑英良中将以下の日本軍司令部が塹壕にこもり最後の戦闘を繰り広げた地です。
ここには太平洋戦域に散華した50万余柱の英霊が祀られております。私の大叔父もサイパン沖で戦死しておりますので、ここにおるのだろうと思うと熱いものを感じます。
両手で祈るような姿の像、そして美しく整備された公園、多くの折り鶴。平和への祈りからの行程スタートです。
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