今年の春の叙勲を受けられ、つい先日もお会いしたのばかりでした。穏やかに眠られているお顔をみても、未だにまったく実感が湧きません。(写真はその叙勲祝賀会のときのもの)
6年前、県議だった私は公募を経て支部長に選任されたものの、過去の経緯の中で大変厳しい状況が続きました。何度訪問しても会って頂けない方もあり、すでに次期県議選不出馬を表明し退路を断っていた中、精神的にも厳しい日々が続きました。
そんな中、義人先生には一緒に何日もかけて地域支部長や役員のお宅を一軒一軒一緒に廻って頂きました。最も厳しかった方のみかんのハウスで「済んだことをそんげ言っても仕方がないがな。前向いてやらんといかんとぞ。」と話して諭して頂いたこと、そして私の保守中道の政治的志向への見解の相違や厳しい意見が寄せられたときも、日本会議宮崎会長として大きな心で対応して頂きました。
よく頂いた奥様手作りの両手で持たないといけないような大きないなり寿司。まさにそれと同じような、海のような、空のような、大きな方でした。
77歳、市議を勇退され、神社本庁本部の役員に就任。プライベートも含め、まさにこれからというときでした。
心からご冥福をお祈り致します。
義人先生、ありがとうございました。